体験者の声

病を克服して  学院健美長寿教室 横田千里

投稿日:2014-07-09

横田千里2009年2月1日、久々に父の介護から解放され、遠方から上京する友人とのランチ。いそいそと着替える途中、一瞬にして気分は暗澹たるものに。背筋が凍る思いというのはこういうことなのか。左胸に5センチ程のかたいしこりを発見した。暮れからの父の入退院を恨んでみたり、なぜここまで気付かなかったのかと自分を責めてみたり、とにかく一刻も早く受診しなければと知り合いの医師の紹介状を握りしめ、ここぞと思う病院へ向かった。受診先の科は包括的ガンセンター。乳ガンを証明すべく検査は始まり、一週間のうち半分くらいは病院通いとなる。当然ではあるが不安は募るばかり。そこに中村和子指導員から「どうしてますか?」とメールをいただいた。父の数回の入退院でしばらく気功を休んでいた私。今思うと、これも気のなせるわざなのか、教室の一生徒であった私を気遣ってくださったありがたいメール。藁をもすがる思いで返信した。「とにかくすぐにいらっしゃい」というの力強い言葉に導かれ、翌日には教室に伺い整体をしていただき、入院までの間、夫と教室へ通う運びとなった。一度の外気調整で凍っていた心が解けだし、体はぽかぽかと温かくなった。中村指導員の「大丈夫!」という言葉は気に満ちあふれ勇気づけられた。教室の皆さんの励ましと繋がった強い気に応援されどんどん気分は上昇していった。「治らないわけがない!」と思えるようになるまでにはさほど時間を要さなかった。夫と共に朝晩の練功に励むようになった。

3月6日私の50歳の誕生日、乳ガンという予想に反し私の科は造血器腫瘍科に変更され、悪性リンパ種という診断結果が下された。何とも嬉しくないビッグなバースデイプレゼント。人生のターニングポイントで生まれ変わりなさいということなのか? 3日後には入院し、すぐに7種類の抗ガン剤治療がスタートした。無菌室に3ヶ月間缶詰めとなり想像を絶する過酷な治療は続いた。全国27例目という最新式の治療で途中落伍する人も少なくないという事を知ったのは治療も後半になってから。口の中じゅう口内炎が出来、吐き気と味覚障害で食事がとれず体重は30キロ台に落ち、輸血も数回必要となった。

入院当初は顧先生のCDを常に聞き、できる限り練功したが、体力はいよいよ衰え、立つことさえ不可能になった。そんな中、中村指導員は遠路病院までお運びくださり外気調整をしてくださった。寝たまま開閉をすることや、それさえもままならなくなったときは「混元霊通」を唱えるなど、その時々にできる功法をいくつも教えていただいた。

教室で知りあった宮崎さんも外気調整をしに度々来院してくださった。私に智能気功を紹介してくれた金沢の山口さんや大変な刻苦練功でご自分の大病を克復された木村さんをはじめ教室の皆さんもずっと気を送り続けてくださった。この応援は実に大きな力となった。先生や皆様、そして1日おきに外気調整してくれた夫の存在が無かったら、きっとこの厳しい治療を続ける事はできなかったであろう。もうダメという思いにかられる度に不思議と先生は駆けつけてくださった。外気調整の後は抗ガン剤の副作用は軽くなり、心身共にとても楽になった。

奇跡のような事が幾つも重なり、気のすばらしさと涵養道徳の大切さを痛感した。今こうして完全寛解という結果が出せ、どんどん健康になっている私があるのは気で繋がった全ての皆さまのお陰と深く深く感謝している。病気になって気の力を実体験した今、練功に励み、涵養道徳に則った生き方をすれば怖いものは何もないと心から思えるようになった。この智能気功のすばらしさを一人でも多くの方に知っていただきたいという思いで一杯である。



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