体験者の声

筑波山に登った。        学院教室 治部愛子

投稿日:2014-07-11

私の目標は普通に歩けるようになること。
もともと先天性股関節脱臼でしたが、テニスもでき、普通の生活を送っていました。父の介護で腰を痛め、背骨が曲がり側湾症と言われ、頚椎までずれ、股関節に痛みが走り、膝、足首にまで痛みが出て、筋肉は衰え、杖を使う生活になりました。
2006年7月から大塚の教室に通い始め、2007年4月7日には、杖なしで歩けるようになりました。
なぜ気功を続けられたかといえば、こうでもない、ああでもないと疑問に思ったからでしょうか?
最初は毎日1時間半ぐらいCD、テープで練功しているのに、なぜ効果(私の場合は痛みが消えること)が得られないのかと疑問を持ちました。立ったり座ったりして練功しているからダメなんだろうかと思い、いつまでこの状態が続くのかと思うとあせりました。
先輩から「皆とスタートラインが違うから」と言われ、そうか、私はマイナススタートなのだから効果が出るのに時間がかかるのは仕方がないのだと思い、練功時間を2時間に増やして続けました。まずは立って練功ができるようになること。そのうちに大塚の教室や合宿では何とか立って練功できるようになりましたが、自宅ではまだできません。気場が弱いせいなら、自宅の気場を強くすれば良いのではないかと思い、練功する前に座ったまま時間をかけてゆっくり気場を作ることにしました。気場をしっかり作るようになったら気持ちも落ち着き、練功がやりやすくなりました。だんだん立って練功できる日が多くなり、気がつけば10月1日からずっと立って練功していました。やっとスタートラインに立てました。
次に自分の状態について考えることにしました。
私が読んだ本によれば、気は遠赤外線で、人間は常に遠赤外線を放出していて、そのおかげで体温を維持していると書いてありました。私の平熱は35.2度~35.4度、朝起きる前に体温を計ると35度以下のこともあります。
整体を受けても温かくならず、身体の芯が冷えている。痛みがある。
私の状態って、以前よりは良くなってきたとは思うけど、以前が悪すぎてまだまだ根深いのだと思うようになりました。
そこで病院に行く代わりに、自宅を気功の病院と思えば時間が作れると思い、自分の日常のスケジュールの中に気功の時間を入れるのではなく、まず気功が一番、次に日常のスケジュールを入れることにしました。この方法で練功時間のことが気にならなくなりました。
それから私が良くなっていく過程をみていてくれ、話し合える友達がいることは励みになりました。何でもプラス思考で考えようと話しています。
そして2007年10月22~28日 健康回復コースに参加し、もっと良くなる希望がみえてきて、気功を続けていて良かったと思い、気功を信じる心が深くなりました。
現在背骨の軟骨はレントゲンではっきり写るようになり、腰椎のでっぱりはなくなりました。姿勢が良くなってきたと皆に言われます。左右の足の長さが2cm程違っていたのが0.5cmの差になりました。坂を上がる時、足が引っかからず楽に登れるようになりました。片足に体重をかけられるようになり、両足を肩幅近くまで広げられるようになりました。痛みも練功反応が起きている時以外は、以前より楽になってきました。
もうすぐ健康回復コースから9ヵ月になります。練功していると身体全体が温かくなり汗が出るようになりました。
気を持ち上げている時、重さを感じるようになり、熱さも感じることがあります。気を注ぎ込んでいる時は、波が頭から足裏まで押し寄せているような感じがしますし、私のまわりの空気が温かいのも感じられるようになりました。
もっともっとがんばって、肩に力を入れずに普通に歩けるように、そして以前のように走ることができるようになりたいと思います。
(2008年8月発行会報より)
~冶部さんはこのあと2008年10月の筑波山合宿で頂上まで登られ、感想文を寄せてくださいました~

筑波山を登って

2回目の筑波合宿です。
去年はロープウェイで展望台まで行き、そこで筑波の麓の景色を眺めていました。見渡す限りモヤモヤでした。皆さんが山登りするのが私にはまぶしく映りました。山登りできるようになるまで筑波に来るぞ! と思いました。
今年、顧先生に山に登っていいですか? とお聞きしたらゴーサインが出ました。「登るぞ! やったぁ!」という気持ちでした。
登る前に綱川さんが杖を買ってきてくださり、準備OK。いよいよお山に登ります。
顧先生が先頭で次が私、綱川さんがいつも私の右側。河野さんが私の後ろ、左側は木村さんがサポートしてくれました。私はそこに道があるから歩く、そこに岩があるから登るという感じで、足はどんどん上がっていきます。おっ、私の足、がんばってるなって感じます。もうすぐ、もうすぐ! 山の頂上に着きました。山頂から見る空は青く澄み渡り、天と地の境目のモヤモヤがよく分かり、何とも言えない安堵感がありました。
皆さんに助けていただいてとうとう山登りができました。お天気も良く最高! なにもかもうまくまわったという感じです。本当にありがとうございました。
今考えると、私としてはかなり無謀なお願いをしたんだなと思います。知らないということはすごいことですね。その時は顧先生についていけば頂上に行けるという一点しかありませんでした。「やった!」 という達成感で今は胸がいっぱいです。
(2008年11月発行会報より)
下は冶部さんのレントゲン検査のデータです。
気功練功や気功整体で得られた効果が見てとれますので、参考までに掲載いたします。

2007年データ

2008年データ

人生はいくつになっても逆転できる

投稿日:2014-07-10

大畑敏久大畑敏久
外為どっとコム代表取締役社長
日本智能気功学院指導員

腰痛も視力も高血圧も回復し、気力が充実した。気功に出会わなければ、私の成功は絶対になかった。

「致知」雑誌(2009年8月号)のインタビュー(一部)
長年勤めた銀行から出向を命じられたのは、激務がたたり体調を大きく崩している時だった。出向先は倒産寸前。どん底で出合った気功を通じ六十代で大輪の花を咲かせた大畑氏に、人生を転換させ、真の生きがいを掴む秘訣を伺った。

――大畑社長は、七年前に設立された御社を、後発にもかかわらず数年で業界トップにされたそうですね。
大畑 当社はFX(外国為替保証金取引)という外国通貨の売買を事業の柱にしております。大変変化の激しい世界で事業展開をしていますが、お客様第一という姿勢を貫いてきたことが大きかったと思います。

――御社を設立されたのが六十二歳。来年は七十歳とのことですが、いまも第一線で精力的にご活躍を続けられる秘訣は何ですか。

大畑 十年以上実践している気功です。気功に出合ったおかげで、私は人生のどん底から立ち直り、六十歳を過ぎて大きな花を咲かせることができたのです。

――気功で人生が花ひらいた。
大畑 気功に出会う前の私は、仕事も健康状態も最悪でした。五十四歳の時に長年勤めた銀行ブローカーに出向を命じられたのですが、それまでの激務がたたったのでしょう、当時はひどい腰痛に悩まされていましてね。いつも足を引きずるようにして歩いていました。痛くて十五分と椅子に座っていられないので、会議の時など腰の負担を軽くするため、床に重ねた電話帳の上に足を置いて、やっとの思いで坐っていました。自宅で食事をする時など、途中で何度も床に横になっては食卓に戻るという有り様でした。

とにかく生きていること自体が辛いのです。おそらく、気功に出会わなければあのまま朽ち果ていたでしょうね。とてもこの年まで生きていられなかったと思います。

――いまの元気なお姿からは想像もつきません。

大畑 おかげさまで、気功を始めてからは健康レベルがぐんと上がりました。腰痛が治っただけでなく、風邪はひかないし、虫歯にはならないし、視力も回復してメガネも不要になりました。

それに伴って精神面も研ぎ澄まされましてね。街を歩いていても、それまであまり感じたこともない風の匂いに心癒されたり、道端に咲いている小さいな花に目が留まって「きれいだな」と感激したり、若い頃の感性が甦ってきたんです。

(役職名はインタビュー当時のものです。)

病を克服して  学院健美長寿教室 横田千里

投稿日:2014-07-09

横田千里2009年2月1日、久々に父の介護から解放され、遠方から上京する友人とのランチ。いそいそと着替える途中、一瞬にして気分は暗澹たるものに。背筋が凍る思いというのはこういうことなのか。左胸に5センチ程のかたいしこりを発見した。暮れからの父の入退院を恨んでみたり、なぜここまで気付かなかったのかと自分を責めてみたり、とにかく一刻も早く受診しなければと知り合いの医師の紹介状を握りしめ、ここぞと思う病院へ向かった。受診先の科は包括的ガンセンター。乳ガンを証明すべく検査は始まり、一週間のうち半分くらいは病院通いとなる。当然ではあるが不安は募るばかり。そこに中村和子指導員から「どうしてますか?」とメールをいただいた。父の数回の入退院でしばらく気功を休んでいた私。今思うと、これも気のなせるわざなのか、教室の一生徒であった私を気遣ってくださったありがたいメール。藁をもすがる思いで返信した。「とにかくすぐにいらっしゃい」というの力強い言葉に導かれ、翌日には教室に伺い整体をしていただき、入院までの間、夫と教室へ通う運びとなった。一度の外気調整で凍っていた心が解けだし、体はぽかぽかと温かくなった。中村指導員の「大丈夫!」という言葉は気に満ちあふれ勇気づけられた。教室の皆さんの励ましと繋がった強い気に応援されどんどん気分は上昇していった。「治らないわけがない!」と思えるようになるまでにはさほど時間を要さなかった。夫と共に朝晩の練功に励むようになった。

3月6日私の50歳の誕生日、乳ガンという予想に反し私の科は造血器腫瘍科に変更され、悪性リンパ種という診断結果が下された。何とも嬉しくないビッグなバースデイプレゼント。人生のターニングポイントで生まれ変わりなさいということなのか? 3日後には入院し、すぐに7種類の抗ガン剤治療がスタートした。無菌室に3ヶ月間缶詰めとなり想像を絶する過酷な治療は続いた。全国27例目という最新式の治療で途中落伍する人も少なくないという事を知ったのは治療も後半になってから。口の中じゅう口内炎が出来、吐き気と味覚障害で食事がとれず体重は30キロ台に落ち、輸血も数回必要となった。

入院当初は顧先生のCDを常に聞き、できる限り練功したが、体力はいよいよ衰え、立つことさえ不可能になった。そんな中、中村指導員は遠路病院までお運びくださり外気調整をしてくださった。寝たまま開閉をすることや、それさえもままならなくなったときは「混元霊通」を唱えるなど、その時々にできる功法をいくつも教えていただいた。

教室で知りあった宮崎さんも外気調整をしに度々来院してくださった。私に智能気功を紹介してくれた金沢の山口さんや大変な刻苦練功でご自分の大病を克復された木村さんをはじめ教室の皆さんもずっと気を送り続けてくださった。この応援は実に大きな力となった。先生や皆様、そして1日おきに外気調整してくれた夫の存在が無かったら、きっとこの厳しい治療を続ける事はできなかったであろう。もうダメという思いにかられる度に不思議と先生は駆けつけてくださった。外気調整の後は抗ガン剤の副作用は軽くなり、心身共にとても楽になった。

奇跡のような事が幾つも重なり、気のすばらしさと涵養道徳の大切さを痛感した。今こうして完全寛解という結果が出せ、どんどん健康になっている私があるのは気で繋がった全ての皆さまのお陰と深く深く感謝している。病気になって気の力を実体験した今、練功に励み、涵養道徳に則った生き方をすれば怖いものは何もないと心から思えるようになった。この智能気功のすばらしさを一人でも多くの方に知っていただきたいという思いで一杯である。

気功に出逢って 柳瀬川教室 矢代弘子

投稿日:2014-07-08

石川指導員と八ヶ岳の山荘でお会いしたのが気功を始めるきっかけでした。先生は世間話をしながら気を入れてくださいましたが、その時背中に温風を吹きかけられているような温かさを感じました。「あれっ、これ何かある」そう思いました。

その夜、肩こりや頭痛で苦しんでいる友人を先生のお部屋に連れていくと、先生は友人が目を酷使する仕事をしていることを言い当てられ、そんな様子を私は不思議な気持ちで見ていました。そして教室の一日体験をし、何も分からないけれども「何かあるな」と直感し、毎週木曜日に教室に通い始めました。

気功に対して半信半疑で参加していましたが、1年ほどたったある日、整体をしてくださっていた先生が、背中の上部にこぶのようなものを見つけてくださいました。昔からちょっと疲れると背中全体が鉄板をのせたように痛くなっていたことを思い出しました。

私は、内臓が悪いことと背中が痛くなることに関係があると思っていたので、もしかするとこれは好転反応で、悪いところが内側から出てきたのかなあと思いました。

そして、骨と同じくらい硬いこのこぶも、「絶対消える」と信じて練功に励もうと思いました。こぶを見つけてから九ヶ月経ちますが、こぶはずいぶん小さくなり、以前のように背中が痛くなることもなくなりました。

最近、ようやく外気発射をして、相手が「あったかくなったよ、痛みが取れたよ」と言ってくれるようになりました。「ああ、私にもできるんだ」ようやく少し自信がついてきた私ですが、いつまでも元気でいられるように、これからも気功を続けていきたいと思います。

幸運なこと 

投稿日:2014-07-07

田中 洋田中 洋
金融会社監査役
日本智能気功学院指導員

智能気功にめぐり合えたことは、自分にとってとても幸運なことだったと思っています。その幸運と思うことについて、もっと多くの人たちと分かち合っていきたいものだと思います。

プロローグは平成16年8月のお盆明けでした。ご縁あって大畑敏久さんが指導員をされていた東京都内・深川の智能気功教室に体験参加しました。その夜、布団に横たわって何となく不思議な感覚があったように思います。そしていつかは自分にとっても、智能気功が必要になる日が来ることを予感しました。

第一幕は平成18年12月に突然その幕が上がりました。数え年60歳の大厄の師走、還暦という人生の中間決算期末とも言うべきタイミング。比較的に健康に恵まれてきたそれまでの人生の帳尻を合わせるかの如く、集中的に発生しました。
まず12月上旬に喉の違和感。飲み物も食べ物もすんなりと喉を通りません。次に12月中旬、いつもの街の風景がおかしいことに気付きました。視界の前方から右側にかけて、モノがダブり二重に見えるのです。1本の電柱は2本、道路の1本の白線はV字型に2本、沈んでいく夕日が何と2個見えます。さらに仕上げは12月下旬でした。自宅の屋根裏収納室から折畳み階段を降りる際に、踏み板が二重に見えたのでしょう、踏み外して回転しながら落下し、肋骨骨折、肺に損傷出血ありで即入院、思ってもみない年末年始の1週間入院となりました。

一方、幸運な第二幕は平成18年12月22日から始まりました。都内総合病院の主治医から、喉の反射運動と眼球運動の障害はすべての検査をしても原因不明ですので、この病気は自分で治してください、と言い渡されました。咄嗟にこれは、気功で治すことだと解釈しました。その夜、大畑敏久さんのご紹介を頂いていた大塚教室に行き入会の手続をし、早速に顧方暁先生の初級教室を体験しました。するとその夜の大塚駅への帰り道、自販機で好物のお汁粉を見つけ注意深く少しずつ飲んでみたら、意外にすんなりと飲めました。1回の練功ですが早速に効果が顕れてきたみたいでした。骨折入院中の前半は初級テキストだけを読む毎日、後半は実際に病室で捧気貫頂法を思い出しながら練習しました。

退院してからも大塚教室に通い、自分なりに自宅で毎日練功を続けていましたら、年が明けた1月中旬には肋骨骨折と肺の損傷も完治。2月早々には、高速道路を再び大型バイクで走れるようになり、眼球障害も完全回復したことを実感しました。

昨年12月下旬に始まった第二幕は現在も続いており、自宅や旅先での練功は欠かさないように努めています。幸い当座の病気治しという目的は達せられましたが、さらに自然治癒力を高めたり、健康の領域に近づいたりするには、今後もっと多くの日々が必要となることでしょう。また、宇宙と大自然と生命活動にかかわる智能気功科学にも関心が深いものがあり大いに惹かれるところです。

人生には、予定外のことが起きたりするものではありますが、自分なりに今後の人生シナリオの中に智能気功を重要な軸として据えることができることは、とても幸運なことと思っています。

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